トップページ 慶長遣欧使節 サン・ファン・バウティスタ 施設案内 イベント情報 利用案内 サン・ファン友の会

慶長遣欧使節

慶長遣欧使節とは人物紹介慶長遣欧使節関連年表

支倉六右衛門常長と周辺の人々の動き

慶長使節関連年表  History of Sant Juan Bautista  (洋数字は西暦の年月、漢数字は和暦の年月)
西暦(和暦) 支倉六右衛門常長と周辺の人々の動き 関連年表
1571年
(元亀二年)
支倉六右衛門常長誕生(はじめ「与市」、のち「五郎左衛門」。実父常成) 73年 室町幕府滅亡
1577年
(天正五年三月)
六右衛門、伯父支倉紀伊守時正(1200石)の養子になる 82年 本能寺の変
1591年
(天正十九年六月)
六右衛門、葛西・大崎の一揆で伊達政宗が宮崎城を攻める際、政宗の使いを務める(「貞山公治家記録」には「五郎右衛門」とある)
1592年
(文禄元年一月)
政宗、朝鮮出陣のため居城の岩出山城を出発
1593年
(文禄二年四月)
政宗、朝鮮の釜山に着く。六右衛門も戦う
1596年
(慶長元年)
養父時正に実子が誕生したため、六右衛門、600石を分与される 98年 豊臣秀吉没
1599年
(慶長四年)
六右衛門の子常頼(「勘三郎」)誕生
(十二月) 仙台城縄張始め。政宗、「千代」を「仙台」と改める
1604年
(慶長九年八月)
政宗、瑞巌寺再建のため、縄張始め
(九月) 政宗、大崎八幡神社の建造に着手
(十二月) 松島の五大堂が落成 03年 江戸幕府開く
1606年
(慶長十一年十二月)
政宗の長女八姫、徳川家康の子息松平忠輝に嫁ぐ 05年 徳川秀忠将軍となる
1608年
(慶長十三年十月)
政宗、六右衛門に下伊沢の小山村(現岩手県奥州市)など二ヶ所の知行地(知行高600石余り)を与える 09年 オランダ、平戸に商館設置
1610年
(慶長十五年五月)7月
政宗、江戸から駿府に到着。十余日間滞在、家康に会う
(十月)12月 政宗、江戸の屋敷を訪れた将軍徳川秀忠をもてなす
1611年
(慶長十六年五月)6月
政宗、江戸路上でスペイン人大使ビスカイノと偶然出会う(初めての出会い)
11月 政宗、仙台に着いたビスカイノを接見、もてなす
ビスカイノ、塩釜を出港し、三陸沿岸などの測量を始める
(十月)12月 慶長三陸地震。航行中のビスカイノ大津波を体験する
ビスカイノ、仙台に帰着。仙台滞在中、不在中の政宗に代わって重臣から造船やメキシコとの通商を望む構想聞く
ビスカイノ、仙台を出発し、江戸へ
1612年
(慶長十七年八月)9月
六右衛門の実父常成政宗の命令で切腹か
(十一月)1月 政宗、江戸の屋敷にビスカイノ、ソテロを招き、もてなす 12年 江戸幕府最初の禁教令
(十二月) 政宗、仙台をたち江戸へ
1613年
(慶長十八年三月)
政宗、幕府船手奉行の向井将監忠勝に大工派遣の礼状を書く
(四月) ソテロから書状を受けた政宗、遣欧使節の派遣準備が大体整ったことで返書する
江戸を出た政宗、駿府に到着。家康に銀子一千両などを贈る
政宗、駿府を出発し、江戸へ
8月頃 江戸で布教や医療の活動をしていたソテロも捕まり、火あぶりの宣告を受ける。寸前のところで、政宗に助けられる
(八月) 政宗、仙台城で「南蛮人阿牟自牟(三浦按針?)」を接見
9月 助けられたソテロ、江戸から仙台へ
政宗、南蛮人2人を招いて協議する。向井将監に奉呈書を書く
多数の日本人キリスト教信者らローマ法王あての書状を書く。政宗の後押しを請う
政宗、仙台城の大広間でビスカイノと対面。従者24、5人
(九月) 南蛮人「楚天呂(ソテロ)」、仙台城に登城
政宗がローマ法王、スペイン国王などにあてた書状を書く
政宗、将監から書状と黒船(バウティスタ号)のためのお守り札を受け取る
10月 支倉六右衛門常長、向井将監の家人ら使節、ソテロ、ビスカイノら合わせて180人以上がバウティスタ号で仙台藩・牡鹿半島の月ノ浦を出帆
1614年
(慶長十九年)1月
バウティスタ号、メキシコ太平洋岸のアカプルコ入港
3月 使節の先発隊、メキシコ市入り
メキシコ総督、六右衛門ら10人を除き、使節の武器を取り上げるよう命令する
六右衛門らメキシコ市入り
5月 六右衛門ら使節、メキシコ市を出発
6月 使節、スペイン戦艦に乗ってベラクルス(サン・ファン・デ・ウルーワ)を出港
7月 キューバのハバナに着く
8月 ハバナを出港
9月 六右衛門、スペインのセビリア市あてに洋上で書状を書く
10月 使節、スペイン南部のサンルカール・デ・パラメダに入港。セビリアへ
六右衛門、セビリア臨時市議会に臨み、使命を述べる
14年 大阪冬の陣
11月 使節、セビリアを出発
12月 使節、スペインの首都マドリードに入る
1615年
(慶長二十年)1月
六右衛門ら使節、スペイン国王フェリーペ3世に謁見
2月 六右衛門、王立跣足派女子修道院付属教会で洗礼を受ける。フェリーペ3世ら臨席
8月 使節、マドリードを出発 15年 大阪夏の陣
(元和元年)10月 使節、ローマ到着、入市式を行う
11月 六右衛門、ソテロらローマ法王パウロ5世に謁見する
六右衛門ら、ローマ市公民権証書を授与される
1616年
(元和二年)1月
使節、ローマを出発。再びスペインへ 16年 徳川家康没
7月 フェリーペ3世、政宗宛てに不十分な返書を書く
1617年
(元和三年)4月
六右衛門、セビリアでフェリーペ3世に通商の許可を再度願う書状を書く
1618年
(元和四年)8月
六右衛門、ソテロらメキシコまで戻り、さらにバウティスタ号でフィリピンのマニラに着く
(六月) 六右衛門、マニラから息子勘三郎に手紙を書く
1620年
(元和六年八月)9月
六右衛門ら使節、ソテロをマニラに残し、便船で帰朝(バウティスタ号はマニラで買収される)
(九月) 政宗、フィリピンにいるソテロの扱いについて幕府重臣に指示を求める
1621年
(元和七年七月)
六右衛門死去=数え年(51)
10月末 ソテロ、マニラから薩摩に潜入しようとして捕まり、大村藩の牢に投獄される
(十一月) ソテロ、牢獄から政宗に書状を書く
1623年
(元和九年七月)
仙台藩の重臣石母田大膳、獄中のソテロに返書を書く 23年 徳川家光将軍となる
(閏八月) 長崎奉行、ソテロの件で石母田あてに書状を書く
1624年
(寛永元年七月)
ソテロ、大村(現長崎県大村市)の放虎原で火刑にされ殉教=(49) 32年 徳川秀忠没
1636年
(寛永十三年五月)
政宗死去=(68) 34年 長崎に出島築く
@年表は支倉家文書、「貞山公治家記録」「大日本資料」「ビスカイノ金銀島探検報告」「ドン・ロドリゴ日本見聞録」「日本奥州国伊達政宗記並使節紀行」「増訂異国日記抄」「仙台藩重臣 石母田家文書」「チマルパインの日記」「日本切支丹宗門史」「ベアト・ルイス・ソテーロ伝」などを基に作成 A六右衛門は、承応三年(1654年)二月まで生きた説も B六右衛門の実父常成は、政宗が八月十二日(年不明)付で切腹を命じており、死去した年について諸説がある C死去当時の年齢は原則として満年齢。

ページトップへ
| 財団概要リンクサイトマップ | Copyright (C) 2007 公益財団法人 慶長遣欧使節船協会 All Rights Reserved.